2015/11/14
広告ブロッカーが浸透すると、ネットって衰退の一途を辿ることになるんじゃないの?ネット広告がもたらした恩恵と広告ブロッカーが及ぼす影響について自分なりに真面目に考えてみた。
無料に見えても無料ではない
インターネットで調べれば大概の疑問を解決できるようになった現在。パソコンやスマホさえあれば、様々な情報を簡単に得ることができる大変便利な時代になった。有料サイトなんかもあるが、正直、無料で閲覧できるサイトだけでも大体の必要な情報は揃ってしまうほど、今のネット上には情報が溢れている。
ただ、間違ってはいけないのは、無料で情報を入手できたとしても、その情報が無料で提供されているとは限らないということ。情報提供者は情報を提供し、閲覧してもらうことで広告収入を得ているケースもあるからだ。直接の金銭の受け渡しがないために勘違いし易いが、それらの情報は事実上完全無料で提供されているワケではない。
現在、大半の無料サイトは、広告収入で運営・維持されていると言ってもいいだろう。よくサイトを見ると、どこかに広告があるはずだ。
ちなみに、ウィキペディアなんかも無料だと思われがちだが、実際は寄付金で賄われている。現状、ウィキペディアには広告が貼られていないが、寄付金が集まらなければ、広告を貼らざるを得なくなるだろう。
ネットの繁栄とネットの広告
ネットに広告が無かったら、インターネットはここまで発展しただろうか?
私が考えるに・・・
作成したサイトに広告を貼れば収入が得られる ⇒ より多くの広告収入を得るために閲覧者を増やしたい ⇒ ブラックな手法でアクセスを集める者も出てくるが、そのようなサイトは(googleの活躍もありつつ)淘汰される ⇒ 優良サイトの運営者は、より多くの閲覧者を獲得するために、より読者が満足する良記事を書く ⇒ サイト運営者同士の競争も発生 ⇒ さらなる良記事・良サイトが続々と生みだされる
こんな感じでネットは急発展を遂げてきたように思う。
やっぱり お金がある所に人は集まるし、たくさん稼ぎたいから良い記事を書くという人は多いだろう。お金が全てではないにしても、広告収入は良い記事を書く動機の1つとして十分だし、ほとんどのサイトに広告が貼られている状況から見ても、ネット広告がインターネットの発展に寄与しているのは間違いなさそうだ。
広告ブロッカー
ネット上の広告を閲覧者側で非表示にすることができる便利なツールとして、広告ブロッカーなるものがある。過剰に表示される鬱陶しい広告を非表示にしたかったり、ネットの閲覧が軽くなるという触れ込みを見て深く考えずに導入してみたり、広告ブロッカーを使う理由は色々あると思うが、ここ数年で急速に普及しているようだ。
広告ブロッカーが浸透すると
現在、大変便利と重宝されている様子の広告ブロッカーだが、このツールの登場は本当に喜ぶべきことなのだろうか?
このまま広告ブロッカーが広く浸透すると、いくら良質な記事を書き上げても、執筆者はその対価を受け取ることができなくなってしまう。その結果、サイト運営者の創作意欲が失われ、ネット上から多くの優良サイトが消えてしまう恐れがある。
優良サイトがなくなれば、当然悪質サイトの比率が上がる。そして、悪質なサイトは、騙しリンクや詐欺紛いの方法で利益を上げるのが上手である。悪質なサイトは、広告ブロッカーによって広告収入が得られない分を、さらに悪質な方法で埋めようと画策するだろう。
広告ブロッカーが標準装備レベルまで浸透した時、ネット上からは多くの優良サイトが姿を消し、後に残るは悪質サイトとステマだらけという阿鼻叫喚の無法地帯になりかねない。
客の事を顧みない店が潰れていくように、とんちんかんな記事ばかりだったり、良い記事があってもソレ以上に広告の鬱陶しさが目立つようなサイトは、自然に淘汰されて消えていく。それが自然な流れであり、少なくとも、万引きだったり、広告ブロック等で、ちゃんとした店やサイトが無くなっちゃうようなことはあってはならんと思う。
より便利なネット社会を望むのであれば、ネット繁栄に一役買ってきたネット広告は今後も必要であり、実は広告ブロッカーこそ本来排除すべき対象のように見えてならない。
余談①、広告表示と非表示の戦い
広告を表示する側と広告を非表示にする側の戦いは今に始まったことではない。
昔、CMをカットしてテレビ番組を録画できる、CMスキップ機能付きのVHSビデオ機器が発売されたことがあったが、この機能の登場は機器製造メーカーとテレビ局サイドとの対立を招いた。
ここ最近では、ニューヨークタイムズが広告ブロックツール使用者に記事を閲覧できないように対策を試みており、両者の戦いは形を変えながら今後も続いていきそうだ。
余談②、感謝の気持ち
ここ最近、感謝の心が欠如している人が増えたなーと感じる。例えば買い物とかの際、店側が客側に感謝するのは皆当たり前だと考えていると思うのだけど、客側の店側に対する「売ってくれてありがとう」という感謝の心は徐々に一般的ではなくなってきている気がするのだ。
極端な話、物を売ってくれる店がなければ、全ての人は全ての物を自給自足しなければならないワケで「神様お客様が買ってやってんだぞコノヤロウ!!」的な考えではなく、客側も店側も、お互いに感謝し合うべきはずではないだろうか?
これはネットの世界も同じで、サイト運営者が閲覧者に感謝するのはもちろん、閲覧者側も無料で情報を閲覧させてくれるサイト運営者 と サイト運営の原動力となる対価を支払ってくれている広告主へ感謝し、皆それぞれに感謝の気持ちを忘れないようにしないといけないなと思う次第である。